シロヘビの歴史
シロヘビが初めて歴史上に登場したのは、江戸時代中期、元文3年(1738)の『岩邑年代記』です。その記述によると、大洪水が起こり、その水が引いたとき、横山にあった千石原御門の近くで一匹のヘビが捕獲されたそうです。それは、色の白いヘビで、尾が打ち切られていました。そのシロヘビは、漢方薬に使われたとのことです。
また、享保年間(1716~1735)に編集された『享保増補村記』にも記述がみられます。岸根村(美和町)や六呂師村(岩国市)にシロヘビがおり、「梅雨左衛門(つゆざえもん)」と名前が付けられていました。由来は、雨の降る日によく石の上で見かけられたためとのことです。
さらに、幕末の文久2年(1862)に書かれた「錦川志」には、今津の米倉に二匹のシロヘビが住みつき、あちこちで見られるようになったとあります。
これらのことから、江戸時代中期にはシロヘビが健在し、名前を付けられるほど身近な存在だったことがわかります。
結局、シロヘビがいつ誕生したのかは、定かではありませんが、江戸時代に米作りが盛んになったことが関係していると考えられています。約400年前の関ヶ原の戦いの後、岩国に移封された吉川広家公は錦見(岩国市)一帯で米作りを推進しました。その米倉で、ネズミをエサにするアオダイショウが突然変異により、色素細胞のない種(アルビノ)が生まれるようになったのではないかといわれています。この神秘的なシロヘビは、「幸運を呼ぶ家の守り神」「神様の使い」として人々に大切に保護されました。そのために数が増したといわれています。
大正13年(1924)に国の天然記念物の生息地域として錦川周辺の今津、麻里布、川下地区が指定されました。その後、昭和47年(1972)には「岩国のシロヘビ」と指定替えされています。
岩国市は、市民と共にシロヘビの保護・保存活動および、理解を広める普及活動を行っています。
(参考:岩国のシロヘビ 岩国保存会)